1,600mの志賀高原
ここにしかない
自然を過ごす。
Only in Shiga Kogen Spend time in nature.
Story
2

宝箱のような
多様な自然

Biodiversity is preserved here
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豊かな生態系が
すぐそこに

The ecosystem around us is diverse

志賀高原は、標高900〜2300mという起伏に富んだ地形です。噴火によって山が隆起し、溶岩は平らな台地をつくり、窪地や噴火口には水が溜まって湖沼や湿原となりました。雪深い山は水の源となり、川は流れてV字の渓谷を刻みます。
こうした変化に富む地形や、火山噴出物に由来する多様な地質に加え、高層湿原や多雪地ならではの植生があり、そこに生きる動物や鳥、虫や魚もまた、さまざまです。


横手から左手笠ヶ岳(2,076m)そして北信五岳を望む

奥志賀より岩菅山を望む

横手から左手笠ヶ岳(2,076m)そして北信五岳を望む

奥志賀より岩菅山を望む

横手から左手笠ヶ岳(2,076m)そして北信五岳を望む

奥志賀より岩菅山を望む

たとえば志賀高原には1000種を超える植物が報告されていますが、なかでも「シガアヤメ」はここでしか見られない植物です。また、雑魚川には天然イワナの原種が自然繁殖しています。
山を分け入った先ではなく、車道からすぐそこに生態系の豊かさが保たれているのは、志賀高原の何よりの魅力でしょう。広さにしてみれば、東西約16km、南北約17km足らずのなかに、多様な自然が宝箱のように詰め込まれています。


シガアヤメ

天然のイワナが生息する雑魚川

夏こそ発揮される
魅力

Summer feels more attractive

自然の多様さは、芽吹きの頃は特に濃密に感じられます。限られた花期のなかで色とりどりの花が目まぐるしく咲き変わり、同じ景色は1日としてありません。
植生はおもに標高によって変わり、シャレー志賀のある1600m付近がちょうど針葉樹と広葉樹が混生しているところ。これより上ではオオシラビソやコメツガなどの針葉樹林が広がり、ここより下では広葉樹林が多く見られます。

森に入ると、心地良い香りに包まれますが、これは樹木が発するフィトンチッドによるもの。植物が細菌や害虫から身を守るために作り出す物質は、人間にとってはストレスを和らげ、心を安定させる効果があります。
私たちは毎日のように森を歩いては、この森林浴効果を実感し、何度も山に入っては、季節が色濃く移り変わるさまを目のあたりにしています。そして多様な自然にますます魅入られています。

雪だるまが
作れない粉雪

Powder snow in Shiga Kogen

志賀高原のグリーンシーズンは6月から10月末まで。11月には山の木々はほとんど葉を落とし、雪を待つばかりとなります。スノーリゾート志賀高原のオンシーズンの幕開けです。

シベリアからの寒気が大陸の山脈の切れ目から吹き出すと、日本海の湿気をたっぷり吸って、新潟県付近に大量の雪を降らせつつ、長野盆地の南西に連なる峰にぶつかります。志賀高原は、河東山地と呼ばれるこの峰々の北東部に位置します。
山をかけ上がった寒気は積乱雲となって雪を降らせますが、志賀高原の標高は高く、雪は上空の低い温度の中で凍ったまま、とけてくっつくことなく降り積もります。

だから志賀高原の雪は、雪だるまや雪像が作れず、雪合戦ができないほどサラサラ。いわゆるJAPOW(ジャパウ)と呼ばれる粉雪なのです。
季節は冬。志賀高原に18か所もある各スキー場を、リフトやゴンドラ、シャトルバスがつなぎます。ゲレンデは多彩で、初心者から上級者まであらゆるレベルのスキーヤーを迎え入れます。

目の前の自然を
守ること

What we can do

シャレー志賀の目の前に一の瀬ダイヤモンドスキー場があり、その麓には小雑魚川の流れる湿原が広がります。ここには120種もの植物が自生し、シガアヤメも群生して、川には原種イワナが泳ぎます。ここがかつて消滅の危機に瀕したことがありました。


一の瀬ダイヤモンド湿原流れる小雑魚川

1990年7月8日の信濃毎日新聞

スキー場開発によって木を切り払った斜面から、雨が降ると滝のような水とともに土砂等が流れ込むようになりました。そこで湿地が埋まらぬよう、土砂もろとも水を効率的に流すため、川を直線化する工事が行われました。
すると湿原の乾燥化が急激に進みます。速くなった流れが河床を削り、水位が下がって湿原に水が流れ込まなくなったからです。次には金網で石を包んだ布団カゴを沈め、川の水位を上げる工事が行われました。
こうした長きにわたる取り組みの末、湿原の破壊は食い止められたのです。

自然に開発の手を入れて、今の志賀高原があります。先人の残してきたものを継ぐとともに、自然への理解を深めなければ、目の前の環境すら守ることができない。忘れてはいけないこととして胸に刻まれています。

佐藤 秀信Hidenobu Sato

山ノ内町渋温泉生まれ、シャレー志賀育ち。子どもの頃は絵を描き、本を読み、作ることが好きだった。中学生で父親のカメラを持ち出して、草花や友人を撮るようになる。大学では油彩画を専攻。卒業後、家業に入りつつ、オーストラリアでスキー修業を敢行。日本写真家協会正会員であり、スポーツ写真家とホテルオーナーの二足の草鞋を履く。

佐藤 秀代Hideyo Sato

神奈川県相模原市(旧津久井郡藤野町)出身。子どもの頃は野山を駆け回り、ヘビやカエルを振り回すおてんば娘だった。大学では経営学を専攻。シャレー志賀の常連だったゼミ室の教授に連れられて志賀高原をたびたび訪れ、岩菅山に魅せられる。趣味は山歩き。北信五岳や近隣の百名山は踏破済みだが、年数回登る岩菅山がやっぱり一番好き。