写真だから
できること
父と祖父の
カメラ
祖父が亡くなって、本家から「カメラは秀信に」と、当時、中学1年生だった私の手元にNIKON Fが届きました。おそらく祖父がヨーロッパ視察の折に使ったカメラは、少し古くて大きくて、今も大切に保管してあります。
父のOLYMPUSはコンパクトで、ペンタ部の三角形やロゴマーク、レンズの美しさなど、デザインが洗練され、とても格好がいいと思いました。高校生の頃、そのカメラで学校の友だちを撮りました。
大学生になってスキー写真を撮りはじめました。父は凝り性で、モータードライブや300mmレンズがそろっていたので、1989年にワールドカップが志賀高原で開催されると、それら持参で関係者席に潜り込み、プロカメラマンと同じところから撮影したことを覚えています。
大学ではスキー部に入りましたが、滑るより撮る方が楽しくて、クロスカントリーの写真で賞をもらうほど打ち込みました。
憧れの
カメラマン
私が子どもの頃、オーストリアスキー教室のパンフレットを撮影するため、プロカメラマンがシャレー志賀に滞在していました。それが水谷章人さんでした。
オーストリアから呼んだデモスキーヤーに指示を出し、撮影する水谷さんの姿はとても格好良く、私の心に刻まれました。そしてパンフレットの表紙を見て、衝撃を受けました。高校生になると水谷さんの写真集を買い、毎晩ながめては「こんな写真が撮りたい」と思いました。
大学では油彩画専攻でしたが、スキー写真には真剣に打ち込みました。滑りはそこそこでいいけど、撮るのは徹底的にうまくなりたかった。
大学卒業後は家業に入り、志賀高原の自然を撮るようになりました。自然はとにかく美しく、スポーツは極限まで鍛えた人間の瞬間が撮れるのが楽しい。自然を撮ることは日常で、スポーツ写真は特別なものです。
スキー写真の
魅力
スキー写真は、スポーツ写真とはまた別物で、自然の中で躍動する人間の姿を写すもの。光と影、風や雲など、刻々と変化する気象を読み、スキーヤーの技術や状態を把握し、さらに仕上がりをイメージしてスキーヤーに指示を出します。
自然と滑りの偶然性すらもコントロールして、自分の思った通りの1枚を撮り上げる楽しさは特別です。
自然が撮れなければスキー写真は撮れないし、そもそもスキーができなければ撮れない。ハードルが高く、ほかにできる人が少ないので、錚々たるメンバーが居並ぶ写真界に、こんな自分でも食い入る可能性がある——そう思っています。
志賀高原を
撮り続ける
父から引き継いで社長になったとき、自分にできることを改めて考えました。海外にいた経験を生かしてインバウンドは好調でしたが、それに次ぐ誘客方法として、写真講座を開くことにしたのです。ここに志賀高原があり、写真があったからです。
そのためにはカメラマンとして認められなければなりません。そこで45歳にして決心し、水谷章人さんが主宰する水谷塾の門を叩きました。
そして定めた目標を10年かけてクリアしてきました。コンテストで賞を取ること、写真が雑誌に掲載されること、写真展を開催すること。2023年4月に日本写真家協会の一員となることができました。
志賀高原の自然はこれからも撮り続けていくつもりです。写真を通して志賀高原の魅力を発信し、ここにある自然の多様さ、貴重さが、より多くの人に認知され、そして受け継がれていくために。
シャレー志賀で生まれ育った私がここで撮り続けることは、きっと意味があるのだと思い込んで、志賀高原を撮ることは、ライフワークにしていきたいと思っています。
シャレー志賀3代社長/(平成元年入社/平成25年社長就任)
昭和42年11月7日生まれ
写真家水谷章人氏に師事
公益社団法人日本写真家協会会員/公益社団法人日本写真協会会員
一般社団法人日本スポーツ写真協会会員
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TEL.0269-34-2235